1978年

和光大学 人文学部 文学科 入学

 

和光大学では、障がいを持つ方とともに学びました。

当時は同じ教室で学びあえる大学は珍しいことでした。

その中でも、白杖だけで通学していた 全盲の女子学生との出会いが、

現在の私の活動の原点です。

「学校の先生になる」という目標を語る彼女と、距離を置いてしまいました。

当時の私は、問題意識も低かったのです。

 

文学以外に法律への関心を持ったのは1年生からでした。

憲法を学んだことがスタートです。

教員免許を取得しました。

 

1982年

新日鉄化学株式会社

(現 新日鉄住金化学株式会社)入社

 

 まだまだ女性の仕事が 補助の仕事ばかり の時代です。

疑問が晴れずに「何か」探しが始まります。2年半で退職。

 

この間に会社の先輩から、

フラワーアレンジメントを教わり、現在まで続いています。

 

その後、派遣の仕事で30社ぐらいの会社をめぐります。

距離を持って横断的に「会社」を眺めてみるも、答えは出ません。

税理士を目指そうと会計事務所で働き始めますが、すぐに断念。

 

1989年

日本コンベーションサービス株式会社

入社 社長秘書

 

秘書なら専門職 かと思いましたが

結局 起業を選択しました。

 

1990年

株式会社 スタジオ優花 設立

 

フラワーアレンジメント教室運営

ブライダルブーケ制作

会場装花などを手掛けます。

 

と、同時に結婚。

翌年、長男出産。

仕事と子育て両立で賑やかな時間が過ぎていきました。

 

ところが、長男の成長につれてぜんそくが悪化し、

入院が必要になることも。

子育ては後回しにできませんが

仕事はまたチャンスがめぐってくると考え

教室のみ残して、会社は譲りました。

わずか3年半のことです。

 

ここから先、

ボランティア活動に心が傾きます。

子供に「共に生きる」感覚を身に着けて欲しかったのです。

日本盲導犬協会

チャイルドスポンサーシップ

東南アジアに絵本を送ろう

フェアトレードなど

家族巻き込んで、さまざま経験しました。

 

中でも集中したのは、

日本盲導犬協会の活動です。 

大学生時代の「共感できなくでごめんなさい」という思いからでした。

盲導犬候補犬だったラブラドルレトリバーを引き取り、家族になりました。

犬との生活で、時間の制限がありますから、仕事は細切れの仕事でした。

フラワーアレンジメント教室はそのまま、学習塾講師など。

自宅で習字教室、絵画教室開いたり、地域活動も積極的に参加、PTA会長も務めてみました。

 

この間に、障がいを持つ方との「共に生きる」感覚が当たり前のように身に付きました。

なにも特別なことではなく、力を入れることでもなく、お隣さんでいるような感覚です。

このころから、それでももっと障がいをもつ方のサポートをしたい、と思うようになりました。

お仕事でのサポートがあれば、よいのでは?

そう考えて、労働基準法のプロでありたいと、社会保険労務士を目指しました。

 

大切に家族と育てた愛犬は、

2017年10月に

16歳と9月で天使になりました。

 

そして、私の 社会保険労務士としてのお仕事は ここからスタートです。

開業は実務講習受講後です。それまでの間に、キャッシュフローコーチの養成塾で学びました。

お金の流れをつかんだうえで、経営判断をする社長のサポートをするコンサルタントです。

 

どんなに世の中に必要とされたものであっても、経営できなければないのも同じです。

しっかり学んで、

2018年8月1日、開業いたしました。

 

そして現在まで、ご縁があって、障害年金の申請代行をしております。

 

そもそも障害年金をご存じではない方がほとんどです。

「自分は受け取れない」そう思い込んでいる方もいらっしゃいます。

その中には40年もの間、歯を食いしばって闘病されてきた方もいらっしゃいます。

 

申請は書類上のみで判断されますので、書き方で判断が分かれる事もあり得ます。

障害年金を受け取れる条件に該当するかもしれない、

そう思われたなら、ご相談ください。